通信兵
一に通信二にラッパと言われる程軍隊内では通信兵は楽な比較的白由のきく存在であった。
大阪無線を出ていたので私は聯隊の通信兵にまわされた。二年兵になってからは中隊で嫌いな作業や演習があると、各中嫁に電話をかけて、通信兵を集め野外に出て通信の演習をしておった。
お陰で剣術は人から段々遅れて終にはどうにも太刀打出来なくなり苦労した。剣術が一番嫌いであった。
李泰院の防禦陣地で電話架設をしていた時のことであった。
子供が 「兵隊さん桃とて食べた」「兵隊さん桃とって食べた」と大きな声でわめきだした。防禦陣地であるから他処に逃げるわけにもゆかず困り果て、皆で金を出しあって子供をなだめたこともあった。
春五月、北鮮江原道平康里に野営演習に行った。通信隊三十五名は別宿舎をもらい、夜間演習の架設、統監部の電話勤務もあるので起床時間は別に決められていなかった。
五月半ば丁度桜の満開時であった。花を摘み一面に咲き乱れている鈴蘭の香りの中に過した一週間、これ程楽しい天国はなかった。 (別項)