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兵営生活の思い出

閲兵分列式

 一月八日の陸軍始めには師団練兵場で朝鮮軍司令官の観兵式が行われ、入隊式、軍旗祭には営庭で聯隊長の閲兵分列式が行われた。

 部隊長が着任すると命課布達式が行われる。部下が新任部隊長に忠誠を誓う儀式であった。

 壱千五百の将兵は営庭に整然と並び、先ず軍旗を迎え、次に新任部隊長が台上に上りその脇に聯隊長が立って、
「天皇陛下ノ命二依リ陸軍歩兵大尉 何某歩兵第七十九聯隊中隊長二補セラル、依って各々同官二服従シ、軍紀ヲ守リ、其ノ命令ヲ遵奉スベシ」
と声高らかに宣ずると大隊長が「捧げ銃と号令をかけ、全将兵が銃を捧げて新任隊長に注目し、高らかに喇叭が奏せられる。

 続いて分列行進に移り、銃に着剣して隊長の前を歩武堂々と行進し、新任、隊長に注目して忠誠を誓う。

 「上官ノ命令ハ其ノ事ノ如何ヲ問ハズ直チニ服従スベシ」という誓いがこの時出来るのである。

 入隊式、軍旗祭の時は軍旗が台上にあがり、聯隊長が勅語を奉読し、軍旗に対し捧げ銃の敬礼をし次いて分列行進を行った。

 今のようにマイクやスピーカーがある時代ではない、営庭に整列する壱千五百の全将兵に徹する聯隊長、大隊長の声量は大したものであった。

南に仰ぐ冠岳や  北に聳ゆる北漢山
漢江河原の水清く  流れて尽きぬ其の辺り
おごそかに立つ兵営は   歩兵七十九聯隊

故里遠く山を越え    海を渡りて国防の
第一線に銃とりて   み国を守るますらおが
新府の土地に威を振う   我が聯隊の任重し

農に響く銃の音    夕に叫ぶ剣戟や
雄叫び振うその声は   天地と共に窮みなく
幾千代までも燃え立ちて   九重深く通うらん

起床

ここの規則はよく出来た
ねるも起るも皆ラッパ、衛兵整列食事まで

午前六時起床ラッパが鳴る。

新兵さんも古兵さんも皆起きろ
起なきや班長さんに叱られる

と聞えると言われていた。不寝番が"起きよ"とどなると全員一斉に起き寝具を畳んで、舎前に出て並び人員点呼をうける、この間二分とはかからなかった。勿論二階の者は駆足で下りてくる、点呼がすむとすぐ防具をつけて銃剣術で錬えられる。剣術が斉んでから顔を洗って朝食に就いていたように思う。

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起床

 内地部隊は洗濯も水だが朝鮮は寒いところなのでお湯の使用が許され、給与も内地の倍の十一円もらっていた。夕方には酒保に行く者もあった。酒保では日用品の外うどん、そば、寿司などがあった。うどん一杯が二銭か三銭であった。

 六中隊の只友猛大尉は夜間演習の好きな中隊長だった。皆が酒保に行っている夕方六中隊の者は舎前に整列し、夜間演習に営門をくぐって練兵場に出ておった。

 二年兵は呑気に酒保に行っている者もあったが、初年兵は洗濯をしたり、二年兵の洗擢物を取り入れたり、靴も磨かねばならぬ、班内の掃除もせねばならぬ、息つく暇もない。

 束の間に時間が過ぎて、九時の点呼ラッパが鳴る。内務班ごとに兵は寝台の前に並ぶ、週番下士官が巡って来ると班長が号令をかける。

 「第一班聡員二十八名、事故三名、現在二十五名番号、一、二、三、四、五、・・・・・事故の三名は師団当番一名、衛兵一名、入院一名外異状ありません」

 一週一回位大隊の週番士官が直接点呼をする、その時は週番下士官が随行する。

 点呼がすむと、その日の会報、諸注意、翌日の演習事項が下達され、それが終ると初年兵教育に、軍人に賜った勅諭が一人一人に言わせらわる。

  • 一つ、軍人は忠節を尽すを本分とすべし。
  •  
  • 一つ、軍人は礼儀を正しくすべし。
  •  
  • 一つ、軍人は武勇を尚ぶべし。
  •  
  • 一つ、軍人は信儀を重んずべし。
  •  
  • 一つ、軍人は質素を旨とすべし。
  • 我が国の軍隊は世々天皇の統卒し給うところにぞある、昔神武天皇みずから大伴物部の兵どもを率いて中津国のまつろわぬ者どもを討ち平げ給い、高御座に即かせられて天つ下しろし召し給いしより、二千五百有余年を経ぬ・・・・・・

 頭の悪い初年兵は中々暗唱出来ず苦労しておった。

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就寝

 やっと今日の油搾りが終ったかと思う間もなく、十時の消燈ラツパが広い営庭に鳴り響く。

剣撃の声も杜絶えて消燈の
ラツパ響けばふる里恋し

ラッパはまた寝て泣くのかよ、また寝て泣くのかよ・・・と聞える

 異郷の空に流される二回のラッパのリズムは、何とも言えない物悲しい淋しいものであった。

 「やれやれ今日の一日も終ったか」

 全営庭一遍に燈が消される。私は海外に出たくて朝鮮軍を志願して来たので、淋しいこともなかったが中には故郷の父母を恋いて、床の中で泣いている者もいた。

 或は酒保で豆を買って来ておいて、床の中にかくれて食べている者もいた。

 消燈後勉強しようと志す者は、十二時まで講堂で勉強することを許されていた。

鶯の谷渡り

 軍隊ではどんなことでも言い訳は許されない、ハイと服従するのみである。斯くてこそ命令一下、水の中、弾の中にも飛こめる人間が出来たりだと思う。

 新兵の靴の手入れが悪いと靴紐をくわえて各班を廻らせられる。二班へ行くと古兵が「ワンと言え」と言う、ワンと言うと靴が落ちる、「お前は天皇陛下の物を落した」と頭をなぐられる、そして三班へ行けと、次々なぐられて廻る。

 被服や寝具の整頓が悪いと、演習から帰って見ると寝台の上に、ひっくり返されてゐる、そして鶯の谷渡りをさせられる。

 「ほうききよ ほうききよ」と言いながら寝台の上にうつ伏せになって寝台から寝台へ渡って班を一巡する。せみ鳴きをせよと言われる、柱や構にぶら下ってミーン ミーンとせみの鳴くまねをする。  大凡そ馬鹿にならぬと出来ないことである。

内務検査

七目七日の土曜日は
清潔整頓武器手入
検査検査で苦労する

 毎週土喧日の午後、備付器材の整備整頓管理、班内外の清潔衛生、個人の所持品の検査があった。

 銃の掃除桿が一本、累子廻しが一本足りなくても許されなかった。何でも軍隊は敏捷な奴が勝つ、のろのろしていると物乾場に行って見ると、自分の襦袢をさしくられて初年兵が泣いて帰る。

 縫工場へ勤務している古兵が古衣を持って帰って員数を補う。班によっては天井裏に予備品を隠しておいて、いざ検査だという時の補填に充てていた。

 軍隊は何処までも公明正大が要求される。後暗いことは最も嫌う処で、特に金銭時計などの貴重品が無くなると、すぐに全員講堂に集合を命ぜられる、各班長が手分をして心当珍を捜索する、それが見つかるまでは夜が来ても自室に帰ることは許されなかった。

 若し人の物を盗んで持っていた等ということにでもなれぱ、その兵は一生うだつが上らぬ、一つ星で除隊せねばならぬ。

 ある兵が金を包んで中隊長の機謙とりに伺った、その後随分真面目にやったが、緒局一つ星で除隊させられた。

通信兵

 一に通信二にラッパと言われる程軍隊内では通信兵は楽な比較的白由のきく存在であった。

 大阪無線を出ていたので私は聯隊の通信兵にまわされた。二年兵になってからは中隊で嫌いな作業や演習があると、各中嫁に電話をかけて、通信兵を集め野外に出て通信の演習をしておった。

 お陰で剣術は人から段々遅れて終にはどうにも太刀打出来なくなり苦労した。剣術が一番嫌いであった。

 李泰院の防禦陣地で電話架設をしていた時のことであった。

 子供が 「兵隊さん桃とて食べた」「兵隊さん桃とって食べた」と大きな声でわめきだした。防禦陣地であるから他処に逃げるわけにもゆかず困り果て、皆で金を出しあって子供をなだめたこともあった。

 春五月、北鮮江原道平康里に野営演習に行った。通信隊三十五名は別宿舎をもらい、夜間演習の架設、統監部の電話勤務もあるので起床時間は別に決められていなかった。

 五月半ば丁度桜の満開時であった。花を摘み一面に咲き乱れている鈴蘭の香りの中に過した一週間、これ程楽しい天国はなかった。 (別項)

衛兵

一番偉いのが聯隊長
行きも帰りも馬の上、衛兵整列頭ら右

 軍旗、表門、裏門、弾薬庫に寝ずの番がつく、これを歩哨と言った。別に兵営、衛戌病院をぐるぐる廻る巡察兵がおり、司令以下二十名余の編成で、在営間何隻か衛兵勤務についた。

春はうれしや、 一人しよんぼり歩哨に立てぱ
花見帰りの女学生、それに見とれて欠礼すりや
ちよいと三日の重営倉

 まだ初年兵の時だった、私は表門歩唱で午前七時を過ぎた、午前八時が交代なので、も少ししたら勤務が済むと考えていたのか? ふと気付くと馬に乗った聯隊長が目の前に立っていた。

 聯隊長が来られる時は、遠くに乗馬姿が見えると、直ぐ衛兵所に知らせる、衛兵は司令以下舎前に整列してラツパを吹いてお迎えすることになっている。

 私が気付いた時は聯隊長は営門に着いていた。慌てて衛兵所に知らせた。聯隊長ともなるとそれは貫録があって、衛兵が整列するまで馬を止めて待ってくれた、司令も優しい上官だったので事なきをえた。

 営倉(牢屋)の罰は免れたが、一っ時七中隊には聯隊長を止めて敬礼させた兵隊がおるそうなと噂が流れた。

 一番いやなのは弾薬庫の歩哨であった。裏山の人目のつかない淋しい所にあり、一人が立哨で、一人が動哨で囲を巡察していた、怪しいものは突き殺してよいことになっていた。

 或る時、「何日の何時弾薬庫の堤の下で会おう」と約束した兵がおった。

 生憎勤務が交代になった、彼女はそれを知る由もなく、弾薬庫の堤を這い上って来た。巡察は闇に怪しい物影を見つけ、銃を構えて「誰か! 誰か!誰か!」と三度呼んだ。

 彼女は彼氏の合図と思って無言で声のする方へ近づいた、三度呼んで応答がないので歩哨はこの女を刺し殺した。

 弾薬庫には防火用水をとる井戸がある。この井戸にも兵役に耐え兼ねた兵隊が飛込み自殺をしている。

 それに因んで弾薬庫には番丁皿屋敷の怪談よろしく怪談があった。夜そばを通ると、一枚・・・二枚・・・三枚・・・と皿を数えるお菊の声が聞えると言う。

 闇中を巡祭していると風が吹いて木の葉がさらさらと音を立て、忍びよる、ポプラ並本では鳶がギャア ギャア と怖い声をして鳴く、雨の夜などチョロッ チョロッ と避雷針から青い火がのぼる、雷でもあると一層激しい。

 こんな夜に限って歩哨の勤務状態を偵察する別な巡察隊が廻って来る、凡そよい気持のするものではない。


 衛兵ではないが厩当番と言うのがある。昼間激しい演習に耐え、夜は軍馬の不寝番である。

 ある兵が眠たい盛りをふと見ると、軍馬も労れて、チンコをだらりと出し寝ていた。

 この兵隊何気なく悪戯が頭に浮んで藁しびでチンコを括った、馬は驚いてチンコを引込めた。当番兵も驚いて藁しびを取除こうと、チンコを引張っても痛がってチンコを出そうとしない、当番兵は交代した。

 しっこをしない馬が一頭出来た。獣医がいくら調べても原因がわからない、とうとう馬は尿毒症になって死んだ、死んでからチンコを引出して見ると、一本の藁しびが捲ついていた。

 軍馬は一流兵器である、この兵が軍法会議に問われたか、禁固刑に付せられたか、重営倉で済んだか、兵われの知る由もなかった。

馬十円お前ら一銭五厘とぞ
兵我ら弾に等しき消耗品か

命一下我が身はあらず若として
兵は黙々山河を進む

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