野外練兵場
師団練兵場で歩40旅団司令部、歩78、歩79、騎28、野砲26、工20、輜重隊、衛戌病院全部が使用していた。
中央が広い広場で、、西側に広大な朝鮮総督府、第二十師団司令部があり、無線電信塔が高く聳えていた。 中央の広い広場で、一月八日酷寒骨を削る朔風をついて、陸軍始の観兵式があり、二十師団の全将兵が軍旗を先頭に歩武堂々の分列行進をした。剣先のひらめき、勇ましいラッパの響きは広い練兵場に轟き渡り、氷を踏む軍靴の音は、皇軍日本の輝かしい前進であった。
南山の麓が黄鶴洞、李泰院の高地、なまこ山、幾千とも知らぬまんじゅう墓地のある無名祠の高地、その南がバラバラ松の高地、西氷庫から漢江川を渡って汝矣島の砂原へと、南北四キロ東西八キロにも及ぶ大練兵場であった。
重い背嚢を負って二キロもある汝矣島の砂原を走る時は足が抜けるようであった。
軍律は落伍許さず汝矣島の
熱砂を兵らひたに走れる